New York 1979–2018 — 石内 都

David Wojnarowicz Arthur Rimbaud in New York (42nd Street), 1978-79. Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York. Used with permission.

David Wojnarowicz
Arthur Rimbaud in New York (42nd Street), 1978-79.
Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York.
Used with permission.

初めてNew Yorkを訪れたのは1979年である。ICPで開かれる「Japan A Self Portrait」のグループ展のオープニングに出席する為に荒木経惟・陽子夫婦と共に3人そろって初アメリカ、New Yorkだった。そのころのNew Yorkの第一印象はとにかくキタナイ街だ。摩天楼のビルの谷間にゴミがあたりかまわず捨ててあり、空気もよごれている感じだ。サンフランシスコでトランジットした時、時間があったので3人でダウンタウンに行ったがきたない感じはどこにもしなかった。たったの3時間ほどだったのでくわしくはわからないが、New Yorkの街にただよう雰囲気の悪さにこれがあこがれの街New Yorkなのかとおどろいていた。

展覧会場のICPはアップタウンの静かな場所で古いレンガ作りのおちついた建物でのオープニングに参加し、荒木陽子は母の住むアルゼンチンに出かけ、のこされた荒木さんと2週間ほどマンハッタンを歩きまわった。42丁目の25セントで覗き見機械で写真をみて、ポルノ映画「タクシーガール」もみて、レストランで食事をする。夜は闇が濃くなる町中のジャズバーなどにも行く。ハーレムまで足をのばして写真を撮り歩いたが、一度も恐い思いはしなかった。それはいつも2人、男と女、カップルだったからだ。しかし陽子さんがNew Yorkにもどってきて荒木夫婦は日本へ帰国して、女ひとりになったとたん何度も恐い目に合い、差別もはっきり受けたことは忘れられない1979年のNew Yorkである。

David Wojnarowicz Arthur Rimbaud in New York (reading newspaper), 1978-79. Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York. Used with permission.

David Wojnarowicz
Arthur Rimbaud in New York (reading newspaper), 1978-79.
Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York.
Used with permission.

それから数えられないほどNew Yorkへ出かけているが行くたびにNew Yorkはどんどんきれいで安全な街へと変わっていった。1996年に3ヶ月ほど1人で滞在したが、恐い事や差別も感じることはほとんどなかった。そして昨年(2018)チェルシーにあるギャラリーでの個展の準備で1週間ほど滞在した時に新しく移転したホイットニー美術館で「David Wojnarowicz: History Keeps Me Awake at Night」をみる。彼についてはエイズで亡くなったこととPeter Hujarの死の床の写真を東京の写真美術館でみただけでほとんど知らなかった。ある写真の前で動けなくなってしまった。これは何だ!この少しピントの甘い35mmのスナップショットの中に写されている、お面をかぶったやせてヒョロ長い男がNew Yorkの風景の中でほとんど背景と同化して写っている。レストランで食事をする。42丁目の通りで、ピーピングマシンの前に立つ、廃墟の落書きの前で、地下鉄に乗って、時々タバコをくわえて、ヤクを打って、オナニーをしたり、ピストルを手にして全て同じ顔の男のお面がそれぞれズレたり、身体の向きとまったく違う角度で、身体と顔(面)の位置のアンバランスが、妙にエロチックでドキッとする。これが「Rimbaud in New York」と知る。Arthur Rimbaudの顔がお面なのだ。100年以上前のフランスの男がNew Yorkに出没してあっちこっちで写真に撮られる。その姿の白い顔の照り返しが痛々しくも切ないユーモアーがただよい、空虚の中に強い毒気を放っている。

WojnarowiczがRimbaudを選びRimbaudとなって1978、79年のNew Yorkによみがえたイマジネーションの強い力に、深刻な視線として写真にプリントされていることに胸を打たれてその場にくぎ付けになってしまった。

「Arthur Rimbaud in New York」は写真の本質を明らかにする、写真の王道である記録性をみごとに破り、軽々と時空を乗り越え、その真実と虚実のさかい目を演じることで、彼らの実体としての身体と歴史に埋没する過去の人体とが交感するその瞬間を写真に撮ることによって、ひとつの永遠を創り出したのだ。

WojnarowiczとRimbaudは時代こそちがえ、生きる意味と死との関係、そして愛について過激で真剣な思考が表裏一体となっている。Rimbaud 37歳、Wojnarowicz 38歳の死である。濃密な短い一生の中で2人の男が重なり共鳴し確かな生命の痕跡をこの写真で遺した。そして40年後に私は彼らを受けとめる。

「Arthur Rimbaud in New York」は写真における多くの問題を明らかにしていく。写真の機能としての記録における過去の定着をまのあたりにする写真表現の特殊性をWojnarowiczは知っていたのだ。この作品こそ本質的な写真の意味を表明している。そして1979年、同じ年に私もNew Yorkにいたのだと思うと、一度も会ったことのないWojnarowiczとあの25セントのピーピイングマシンの前ですれちがったかもしれない、と感じながら美術館を後にする。

David Wojnarowicz Arthur Rimbaud in New York (tile floor, gun), 1978-79. Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York. Used with permission.

David Wojnarowicz
Arthur Rimbaud in New York (tile floor, gun), 1978-79.
Courtesy of the Estate of David Wojnarowicz and P·P·O·W, New York.
Used with permission.

次の日、かなりの興奮状態が続く中、Andrew Rothと会う。当然話しは「Arthur Rimbaud in New York」である。すると彼はさりげなく水色の表紙にランボーのお面が印刷された写真集を出してきて私にくれたのである。2004年彼が出版した「Arthur Rimbaud in New York」だ。ホイットニーで見ることのなかった多くの写真が入っている。その時のおどろきと喜びは大きく、Rothの出版に対する考え方、質の高さとセンスの良さを改めて感じたのだった。

アーティストとの出会いは私に大きな力を与えてくれる。Wojnarowiczの作品から汲みとるイメージは大きな意味で愛の意志の行方と人と人のコミュニケーションの問題なのかもしれない。

1979年のNew Yorkが2018年に奇跡のように私の前に現れた。過去はいつでも現在の中に、未来はいつも現在の中にあることを見逃さないようにしなければならない。そしてDavid Wojnarowiczと会えたことを感謝するとともに写真そのものの無限の内容を共有していることを実感する。